2011年12月
最初に見た時は「???」であっても、由来を知ってよく見れば、思わず「なるほどねえ!」。
今回はそうした校章をご紹介しながら大学めぐりをいたしましょう。
「窓を開いて未来に飛翔」
東京工業大学のツバメのマークは有名です(図1)。
在学生も卒業生も、母校のシンボルとして愛着を持っています。
そういえば東工大スタッフが開発した世界最高水準の演算性能や省電力を誇るスーパーコンピューターも「TSUBAME」と命名されています。
しかし、このシンボルマークは「ツバメ」だけを意味しているのではありません。
もう一度よくご覧下さい。何か見えてきませんか?
「東京工業大学130年史(平成23年刊行)」ではこう説明しています。
「1948(昭和23)年に当時東京美術学校教授であった掘進二氏の図案によるもので、工業の『工』の字につばめを『大』の字に図案化して配している。
『工』の字は窓を象っており、学窓の意味をも象徴している。
当初は、職員バッチの図案として採用され、以後、シンボルマークとして広く親しまれ使用されてきた。1981年、本学の創立百周年に当たり、正式に本学のシンボルマークとして定め、今日に至っている。」
確かにこの「ツバメ」は、大学の「大」の字です。
さらによく見ると「窓(学窓)」が開かれ、外の世界に「ツバメ(大学)」が飛び立っています。
「工」の字を表す白抜き部分については「Institute(大学)」や「Industry(工業・産業)」、あるいは「Iron (鉄)」の「I」にも見えます。
2011(平成23)年に創立130年を迎え、世界最高の理工系総合大学の実現を指針とする東京工業大学。
このマークに憧れる受験生さんも、さぞや多いことでしょう。
その伝統ある歴史とハイテクに彩られたキャンパスも見所いっぱい。
東急電鉄大岡山駅の改札を出てほとんど目の前の正門を入ると、すぐにそこは百年記念館。
東京工業大学の最先端研究の紹介も含め、大学の研究・教育に関する歴史的資料が展示されています。
桜並木の向こうには美しい白亜の本館がそびえます。夜にライトアップされた姿も荘厳です。
「龍に似て龍にあらず、鳳に似て鳳にあらず」
九州工業大学(福岡県北九州市)の伝統の校章(図2)。これは果たして何なりや?
同大学は1907(明治40)年設立の私立明治工業専門学校を起源とする独自の沿革を持っています。
1921(大正10)年、官立に移管して校名を明治専門学校と改め、第二次大戦後は新制国立大学として九州工業大学となります。
同校の校旗・校章が制定されたのは1931(昭和6)年のこと。
『九州工業大学開学五十周年記念「五十年」』(昭和34年刊行)によれば、職員、学生、卒業生の間から図案を募集し、その中から卒業生中山武夫氏の作品が選定されたそうです。
同書では校旗・校章の意匠について、当時発行された「校旗制定記念絵葉書」の記載を次のように引用しています。
「本旗は明治専門学校の精神を具体化するものにして、地彩の紅、黝(ゆう:青みを帯びた黒)は、鋼鉄及び鋳鉄の堅実に擬(たと)え、又工業の象徴たり。
中央の形体は、龍に似て龍に非ず、鳳に似て鳳に非ず、正に之を超越せる霊体なり。
眼より耳を通じて拡がる翼は、卓越せる聰明と無量の知識とを現はし、巨口に珠を含むは、光明円満の徳を以て、高く世に呼号せんとするものにして、本校の活動を意味す。」
私立明治専門学校の創設者である安川敬一郎は、明治から大正期にかけての実業家です。
炭坑業の経営に従事するとともに、紡績や鉄道、港湾建設、銀行経営にもたずさわり、その企業系譜は現在の安川電機に継承されています。
安川敬一郎、松本健次郎の父子は「国家によって得た利益は国家のために使うべきである」という信念から、わが国工業教育の向上と北九州工業地帯発展のため、巨万の私財と敷地八万坪を投じ、私立明治工業専門学校を設立しました。
創立経営を託された理学博士 山川健次郎氏(東京帝大総長、初代九州帝大総長、京都帝大総長を歴任)は、「本校は単なる技術を授くるの場所に非ずして、人間形成の道場であらねばならぬ」と高い理想を掲げ、同校に「技術に堪能なる士君子の養成」という建学精神を確立しました。
昭和期になって制定されたこの校章には、同校の建学精神とここに学ぶ学徒の自負を象徴しています。
その精神は国立大学となった現在も脈々と継承され、同窓生の結束も強く、卒業生は全国各地でわが国工業の発展に寄与しています。
「獅子の星座の旗の下」
東京学芸大学の校章(図3)にも、何やら深い意味がありそうです。
同大学のホームページではこう説明しています。
「この校章は、獅子座と太陽のコロナをデザインしたものです。
本学の創立日である5月31日の夜空に光り輝く獅子座の威厳と太陽の輝きを本学の出発に重ね合わせました。以前から、本学の学生歌『若草もゆる』の中でも歌われ、広く愛されてきたこの獅子座のマークは、平成21年の東京学芸大学創立60周年にあたり、正式な校章として認定されました。」
なるほど、円形は太陽であり、そこから放射されるコロナなのですね。
太陽(円形)の中にある「?」を裏返したような形は獅子座のシンボルマークといわれるもの。
獅子座の星の並びから「獅子座の大鎌」といわれる部分をデザインしています。獅子座を表す象徴として星占いでもこのマークが使われています。
獅子座の守護星は太陽であり、両者は密接に関わっています。
獅子座は太陽の力を受けて「再生力と活カ」、「炎と光・太陽のエネルギー」を持っているのだとか。シンボルマークはその力を象徴しているそうです。
東京学芸大学は、1949(昭和24)年5月31日に施行された国立学校設置法によって戦前期の東京第一、第二、第三の各師範学校、及び東京青年師範学校を包括した新制大学として設置されました。
春の訪れとともに、東の天空を登り上がるのが獅子座。
これと同じように、東京学芸大学も戦後民主主義の新時代に「学芸大学」という新制大学の新たな理念を担って発足しました。
同大学の学生歌「若草もゆる」の一節は「獅子の星座の旗の下 希望輝くわが母校」と歌っています。
関東大学サッカーリーグで活躍する蹴球部(サッカー部)をはじめ、同大学の多くの運動部も、獅子座に由来するライオンのエンブレムをユニフォームにつけています。
「無限の力を宿す種子」
千葉大学のバッジマーク(図4)。これをあなたはどう見ますか?
千葉大学のホームページでは、こう解説しています。
「このバッジは、昭和24年10月に学内公募により制定されました。
その意味するところは、Chiba Daigakuの頭文字CとDを組み合わせるとともに、千葉大学の「千」を配して構成されたもので、輪郭は、無限の生命力を象徴する植物の種子を形どったものです。
左側部分の暗紅色は情熱を、右側部分の白色は純粋を表現しており、故 赤穴 宏 氏(元 千葉大学名誉教授)のデザインによるものです。」
なるほどねえ!よくみれば、確かに千葉の「千」ですね。
1959(昭和34)年、創立10周年を迎えた千葉大学では、大学歌、学旗も制定しました。学旗の制定については、すでに制定されていた千葉大学バッジの色彩を採用し、ガーネット(暗紅色)は情熱を、白は純粋さを表現するものとして5:9の比率で染め分けられているそうです。
「大なる心で學をつつむ」
駒澤大学は1592(文禄元)年に曹洞宗が設立した「学林」を起源とする伝統ある大学です。
1657(明暦3)年には現校歌にも歌われる旃檀林(せんだんりん)と命名され、さらに1875(明治8)年に曹洞宗専門学本校、1882(明治15)年には曹洞宗大学林専門学本校と改称し、この年を大学の創立年としています。
1905(明治38)年に大学名を曹洞宗大学とあらためた後、現在の大学所在地である駒沢(東京都世田谷区)に移転し、1925(大正14)年には「大学令」に基づく駒澤大学(旧制)へと発展します。
駒澤大学は「仏教」の教えと「禅」の心を現代的教育に活かしてゆくことを建学の理念としています。
駒澤大学の現校章は旧制駒澤大学発足の頃に制定し、今日に至ります(図5)。
そのデザインは「大學」二文字のシンプルなもの。しかし、由来を知ってよく見れば・・・。
同大学のホームページでは「駒澤大学の徽章(校章)は、極めて大きい心で、すべての学を蔽い尽くしているというさまを表しています。」と説明します。校章について、さらに「駒澤大学八十年史(昭和37年刊行)」をひもとけば「大意は『大は学を被うべきもの』との趣旨より、帝大の徽章をまねない独自の性格を表したい」として検討・採用したと記載しています。
曹洞宗の開祖道元禅師は、「大心」の精神について「大山の如く高く、大海の如く広く、いずれか一方だけに偏り、また党するのでなく、常に、こだわりのない公平な心」と説いています。
一見シンプルな駒沢大学の校章ですが、実はそこに開祖の教えが込められているのです。
駒澤大学の前身である曹洞宗大学林専門本校があった場所は旧東京市麻布区日ヶ窪町。ここは現在の六本木ヒルズの一角であり、同校に関する記念碑も設置されています。
今日の駒澤大学は駒沢オリンピック公園と隣接し、周囲にはハイソな住宅が建ち並んでいます。
駒沢大学は、お洒落で素敵なロケーションと関わりの深い大学です。
さて、次回は「松竹梅」にちなむ校章を紹介いたしましょう。